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肝移植の手引き

肝臓移植の歴史

肝移植の歴史
1963年 初の臨床肝移植(アメリカ)
1979年 サイクロスポリンの使用
1983年 米国での脳死肝移植の認知
1986年 米国での臓器移植斡旋機関UNOS設立
1988年 世界初の生体肝移植(ブラジル)
1989年 世界初の生体肝移植成功
(於オーストラリア熊本の男児)
1989年 日本での初の生体肝移植
1997年 日本での臓器移植法施行
1999年 日本での初の法律下脳死肝移植
2010年 臓器移植法改正

 臓器移植は、1900年代になって実験的に可能になった外科手術ですが、ヒトを対象に行われるようになったのは、1960年代からです。1963年に、アメリカではじめて肝臓移植が行われ、1967年に初の成功例がでました。これは、コロラド州デンバーというところで、スターツルという外科医がおこなったものであり、その後、ピッツバーグに移って彼は、肝臓移植の開拓者として膨大な症例を蓄積しています。他の臓器移植同様、肝臓移植も、いろんな周辺技術や知識の進歩によって推進されてきました。その大きな要素は、移植後の免疫反応、すなわち拒絶反応を防ぐ薬(免疫抑制剤)の開発、もう一つは、体外にいったん出される臓器の保存技術です。免疫抑制剤では、1980年代になってサイクロスポリン、1990年代になってタクロリムスという現在も主流である二つの薬剤の開発普及が、肝臓を含めた臓器移植を大きく推進しました。

 一方、体外に血流がない状態で出された肝臓は、そのままでは、すぐその活動性を失ってしまいますが、これを防いで移植された後また働きを取り戻すことが出来るようにするための保存技術も、移植の進歩を後押ししました。1970年代に開発された、ウイスコンシン大学保存液(UW液)は、2~4度の冷保存によって、肝臓では12~24時間の保存を可能としました。これによって、遠いところで摘出された臓器を運んできて移植をするという、脳死移植が可能となりました。もちろん、生体肝移植でも、このような保存液を用いていったん肝臓を保存します。

 脳死臓器移植には、提供するドナーと、それを移植されるレシピエントの間を取り持つ斡旋者が必要です。その組織として、アメリカやヨーロッパでは独立した機関が1980年代に相次いで作られ、斡旋のみならず、提供に関する啓発などにも携わってきました。日本では、脳死臓器移植の開始が遅れた分このような機関の設置も遅れましたが、現在「日本臓器移植ネットワーク」という組織がこの任務を担っています。

 国内での肝臓移植は、1960年代に行われた実験的な試みは別として、1989年に、島根医大で行われた生体肝移植から始まっているといえます。移植医療が定着している諸外国では、脳死移植から移植医療が始まり、脳死臓器不足を背景に生体移植が始まっていったという経緯がありますが、日本では、脳死移植にまつわる人の死の定義議論などが国民的合意を得るに至らず、その議論を迂回する形で生体移植がまずはじめられた形になっています。1997年にようやく臓器移植法が制定され、1999年にこの法律に基づく脳死肝移植が行われましたが、少しずつ増加しているとはいえ、脳死肝移植は、今までは年間10例程度にとどまっていました。2010年7月より臓器移植法が改正され、本人の意思が不明な場合も、ご遺族の承諾があれば臓器提供できるようになりました。また、15歳未満の方からも脳死下での臓器提供が可能となりました。日本では生体肝移植が1989年の初例以降肝移植の一般的形態となり、最新の統計によると2009年1年間に国内で464例行われています。生体肝移植がはじめられた1990年代初めは小児の胆道閉鎖症症例が多く、親から子供への移植が一般的でしたが、1994年に信州大学で成人への生体肝移植がはじめて行われ、1990年代の終わり頃から急速に成人への生体肝移植が増加しており、18歳前後で分けると、小児1対成人3程度の割合です。生体肝移植は、はじめられた当初は自費診療でしたが、1998年に、15歳以下の小児疾患を中心に保険診療となり、2004年からは成人疾患の多くも保険診療でカバーされ、現在は、進行肝癌以外はほぼ保険診療が可能となっています。ただ、まれな疾患ではまだそうでないものもあり、そのような場合は個別に説明をしております。

 熊本大学では、1998年から小児の生体肝移植が開始されました。2000年から実施ペースは増え、2010年末までに、成人小児あわせて合計297の生体肝移植が行われています(熊本大学での生体肝移植の現状については、P42,43を参照)。また、2010年7月から熊本大学も脳死肝移植ができる施設として指定され、2011年の3月までに脳死肝移植が2例行われています。

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