熊本大学病院群初期臨床研修医 Cプログラム
岡田 雄二朗
憧れだった医師として働き始めて二年間の初期研修も終わりが見えてくる時期になりました。私は1年次を公立玉名中央病院で、2年次を熊本大学病院中心に研修して参りました。たくさんの出会いがあり、日々の成長を感じるとともに、自分の至らなさを痛感しています。この場をお借りして、2年間の研修の振り返りをさせて頂きます。
1年目の公立玉名中央病院では、救急科からのスタートでした。同期の1年目の研修医とともに、何もわからないまま救急外来に居座り、ウォークインの対応、救急搬送の受け入れをしました。まだ3日とたたないうちに、敗血症性ショックで血圧が下がった患者さんが搬送されファーストタッチをすることになりました。収縮期血圧は60 mmHg 台で、上級医に言われるがままとりあえず補液を全開で開始しました。なんとか血圧が80台となり少し安定し、原因検索を開始しようとしたところで心筋梗塞疑いの患者さんが搬送されてきました。上級医はそちらの対応をすべく、ショックの患者さんの状態を観察し血圧が下がったら知らせるように言われ、血圧が下がらないことをひたすら祈っていました。その後なんとか血圧は維持され、原因検索とともに抗菌薬開始され入院となりました。突然重篤な患者を前にして何もできず、持っている知識をいかに使える知識へと昇華させていく必要があるかを認識した、貴重な1例でした。
3ヶ月の救急外来での研修を終え、次は総合診療科での研修でした。初めて主治医として受け持ったのは若年の女性で、過多月経による重度の貧血で入院されました。Hb 5 g/dl 台で入院され、輸血の必要性・副作用などを説明したところで本人・家族から固く拒まれ、1日経過をみる方針となりました。翌日には Hb 3.1 g/dl まで低下し、輸血は避けられずもう一度説得したところ、本人・家族からはもし副作用が起きたらどう責任をとってくれるのかと詰め寄られ、困り果ててしまいました。上級医に介入して頂き、なんとか輸血することに納得され、治療を開始することができました。その後も患者・家族には不信感をもたれてしまい、退院後は外来でのフォローを拒否されてしまいました。患者とのコミュニケーションに非常に悩み、話し方や態度など、いかに信頼してもらえるような医師患者関係をつくるか、その重要さを痛感しました。
もう1例、好酸球の上昇で紹介され、精査目的に入院となった患者さんの主治医となりました。来院時は肩の痛みと手足のだるさを訴えるのみでしたが、徐々に手足が動かしにくくなり数日もすると茶碗も持てなくなったと訴えられました。「朝いつも誰かが私の頭を蹴っている」といった言動もみられていたことから、手足の症状も精神的な症状からくるものかと軽視してしまいました。その後外来受診時に提出していたMPO-ANCAが強陽性となり、好酸球性多発血管炎肉芽腫症の臨床診断となりました。病理学的診断をつけるために皮疹などの出現を数日待ちましたが皮疹の出現はなく、その間にも手足の麻痺は増悪し、やむなくステロイド投与を開始しました。投与後速やかに好酸球数は減少しましたが、手足の動かしにくさといった末梢神経障害は入院中には改善しませんでした。歩行困難となるほどの末梢神経障害が残ってしまった結果の重大さを考慮すると、ステロイド投与のタイミングを逸してしまったのではないかと、今でも悩むことがあります。
12月には外科での研修でした。指導医の患者さんに対する丁寧な説明・フォロー、手術に臨む準備、研修医に対する指導など、将来の医師像としての1つのロールモデルになりました。また、受け持った患者さんが術後脳梗塞を発症し、数日のうちに亡くなってしまいました。長年透析をされており、リスクはそれなりに高い患者さんではあると考えられますが、避けることはできなかったのか、指導医と一緒に症例を振り返ったことを覚えています。内科志望ではありましたが、とても学ぶことが多く、外科医に対する尊敬の意を強くしました。
2年目からは大学病院に戻り、糖尿病・代謝・内分泌内科から研修をスタートし、糖尿病の教育入院の患者さんを受け持たせて頂きました。網膜症で片方は失明、腎症も3度とかなり進行していました。連日ベッドサイドへ足を運び、患者さんと食事などの生活習慣をどう改めるかを考えましたが、なにか1つ提案すればその都度できない理由を提示されてしまい、治療に対するモチベーションを維持することに難渋しました。ある程度血糖コントロールがついたところで、「生活習慣を改める」という根本的な部分は解決できないまま退院となりました。外来の先生方が時間をかけて診療していただけることになるとは思いますが、なかなか思うようにいかず、慢性疾患管理の難しさを感じるとともに、医学的な視点だけでなく、医療・福祉の面から生活の支援をしていく必要性を実感しました。
脳神経内科では手の運動障害から筋萎縮性側索硬化症(ALS)の精査目的に入院された患者さんを担当しました。結果的にはALSは否定的とのことでしたが、患者さんと毎日会話していくなかで、突然神経難病の疑いとされ、検査が進むにつれて今後の生活の不安などが大きくなっている様子を感じとりました。大丈夫ともそうでないとも言えず、言葉を慎重に選ぶように頭を悩ませました。その不安に少しでも寄り添えたかといえば、できなかったような気がしています。今後の医師人生のなかで、どういった言葉をかければよかったのか、自分なりの答えを見つけることができるように研鑽を積んでいきたいと思った症例でした。
10月の地域医療では阿蘇医療センターで研修を行いました。循環器内科を中心に診療を行いましたが、肺炎や糖尿病、副腎不全など循環器領域にとどまらない症例を担当しました。地域では各領域の専門医も十分ではなく、専門外の領域であっても診療を行う必要があることを実感しました。将来的には脳血管のカテーテル治療を専門にしたいと考えてますが、循環器の先生方と協力しながらカテーテル治療を行うことができないかと、淡い期待を持って地域医療の研修を終えました。
ここに書いた以外にも、たくさんの症例を経験しましたが、どれも貴重な症例で、頭の片隅に残っています。知識も技量も人間性も至らず、上級医やスタッフの方々に大いに甘えてしまった初期研修でしたが、診療を通して患者や家族・医師・スタッフなど多くの人と出会い、いろいろなことを学びました。それと同時に、1人で患者さんを診ているわけではなく、多職種の方々に支えられていることを実感し、心強く感じることが多くありました。感謝の気持ちでいっぱいです。これからも学ぶべきことは山程あり、初期研修での経験を土台にして、これから多くの研鑚と経験を積み努力していきたいと思います。