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研修だより

「初期臨床研修で学んだこと」

熊本大学医学部附属病院初期臨床研修医 A プログラム
工藤 仁孝

 私は、熊本大学医学部附属病院の初期臨床研修医として、1 年目に熊本大学医学部附属病院、2 年目にくまもと森都総合病院、その間の 1 か月宮崎県立延岡病院で研修を行いました。また、学生時代から、将来は病理に進みたいと考えており、病理に進むのであれば、基礎医学的な物事の見方も早期より学ぶべきであると考え、初期臨床研修と平行して大学院へ進学する、柴三郎プログラムを履修しました。以下に、研修の報告を纏めさせていただきます。

 研修当初の目標としては、臨床研修と平行して基礎医学の知識・考え方を学ぶことに加え、病理では、初期研修で学ぶ手技の殆どは要求されることがないため、手技を身につけるというよりも、広く多くのものをみて、知識や考え方に重きを置いて学ぶこととしました。そのため、具体的に列挙させていただくと、内科 (消化器内科、呼吸器内科、腎臓内科、血液内科、神経内科、リウマチ・膠原病内科)、外科(消化器外科、乳腺外科)、病理診断科、救急、麻酔科、精神科、産科婦人科、小児科、皮膚科、眼科、地域医療と広く、様々な科、領域で学ぶ機会をいただきました。

 実際の研修が始まり、最初に最も驚かされたのは、働き方改革等の影響もあり、研修医の勤務時間・時間外勤務時間の上限が厳密に決められており、思うように働けないことでした。勿論、自身の健康や仕事の質を下げないためにも、長時間労働を避け、十分な休息を取ることは必要ですし、大学院にも時間を割く必要があった私にとっては悪い話ではなかった筈ですが、個人の希望で働く分にはいくら働いても問題はないと思っていた私にとって非常に衝撃的でした。朝早く出勤し、指導医より先に患者さんの状態を把握したり、よい学修の機会があれば重要度の低い業務は朝や夜に少し回して学修を優先させるといったことが思うようにできず、自分のペースを掴めず、働くとは何か、学ぶとは何かについて深く悩んだ覚えがあります。しかし、自分とは異なる価値観に触れ、慣れていない環境に身を置くことは、自らの世界や価値観を広げ、貴重な成長の機会になると常々感じておりましたし、実際に、限られた時間の中で、日々、試行錯誤して学んでいった結果、それまでの自分に欠けていた、より効率的に働き、学ぶという姿勢が幾分身についたのではないかと感じています。

 「広く多くのものをみて、知識や考え方を学ぶ」という目標に関しては、当初想定していた以上に、多くの経験と広い学修をすることができました。研修でお世話になった病院は、熊本大学医学部附属病院が慢性期病院の、宮崎県立延岡病院が急性期病院の色合いが強く、くまもと森都総合病院はその中間という印象で、慢性期から急性期の全く異なる病院形態の下で学ぶことができました。加えて、上記の通り、様々な科を回りましたので、慢性期疾患から急性期疾患まで、科、臓器を問わず、広く経験、学修することができました。研修先のそれぞれの病院は、勤務形態も全く異なっておりましたので、1 年目の熊本大学医学部附属病院では、病態の複雑な症例をじっくり、深く学ぶとともに、プレゼンテーションや診療情報提供書、退院時サマリといった書類の形式、書式等を重点的に学び、2 年目のくまもと森都総合病院では、科間の垣根が低いことを利用して、その時に回っている科にとらわれず、時間があるときは他の科で勉強する機会もいただきながら、研修を行いました。また、病院内に止まらず、病院間の連携や病院と他の医療関連施設や地域との関連を学ぶ機会にも恵まれました。くまもと森都総合病院は、総合病院ではありますが、存在しない科も多く、また、重症患者の管理を行う設備も整っておりませんでしたので、対応できない科の致死的合併症が生じた場合や院内急変が生じた場合等に、転院搬送や救急搬送で他院まで同行する機会を多くいただき、1 年目にはあまり実感を持って感じられなかった病院間の連携を強く感じました。加えて、地域医療でお世話になった宮崎県立延岡病院では、保健所、消防署、臨床工学科、医療連携科での研修機会をいただきました。保健所では、1 歳 6 か月健診、精肉工場、リサイクルセンター等で疾病予防や衛生対策等を学び、消防署では救急車同乗研修により救急隊による対応を学び、臨床工学科では臨床工学技士との連携を学び、医療連携科では老人福祉施設、訪問介護、市中病院・診療所等の転院調整先の現場を回って他院や他の医療福祉施設との連携を学びました。患者さんの年齢に関しても、小児から成人、高齢者、そして、担当患者さんの死、病理解剖も経験させていただき、また、「患者」ではありませんが、出生の場にも立ち会うことができ、生まれてから成長し、成人となり、老化し、亡くなり、その後の解剖まで広く俯瞰することができたように思います。

 また、日常の業務以外では、症例報告の学会発表や英語論文執筆の機会もいただきました。症例の発表は、学会発表が 5 回、山崎記念館で行われた勉強会での発表が 3 回、他院で開催された勉強会での発表が 1 回と、計 9 回の発表の機会をいただき、1 つ 1 つの症例を、論文等を頼りにしながら、より深く学び、それを分かりやすく伝える術を鍛えることができました。その中の 1 例に関しては、英語論文執筆の機会もいただき、現在、英文校正が終了し、投稿に向けて調節している段階です。これらの発表・報告から、最新の情報を取り入れて診療に当たっていく術を学んだ他、実際に、過去の症例報告を手がかりとして治療方針を決定する機会にも恵まれ、教訓深い症例を見つけ出し、要点を的確に纏めて分かりやすく発表し、それが、実際の診療に役立てられていくという一連の流れを俯瞰することができたように思います。

 大学院に関しては、1 年次の間に e-learning 等による講義の受講を終了し、ごく簡単な実験もさせていただきました。進捗は芳しくありませんでしたが、学生の頃にさせていただいた簡単な実験結果に関しては論文に纏める機会をいただき、目下、執筆中です。その他、お世話になっている研究室は病理の教室であるために、5、6 回程度、病理解剖に参加する機会をいただきました。勿論、日常業務を差し置いて解剖に参加する訳にはいきませんので、基本的に、休日や勤務時間後等の診療に差し障らない時間帯に解剖が入った時にのみ、参加させていただきました。病理解剖は、肉眼解剖や病態を学ぶ上で非常にためになっただけでなく、何より、命や医療行為の意義等、様々なことを考えるよいきっかけともなりました。死者は、言葉を発することはありませんが、解剖を行い、一つ一つ所見を拾っていると、死者と対話をしているような、不思議な感覚に見舞われます。死者の声なき声に耳を傾ける作業、これが解剖なのではないかと感じました。死者のどんな些細な声も聞き逃さないためには、科、臓器を問わない幅広く、深い知識が必要とされます。非常に高度で責任の重い仕事であり、研修一日一日を大切にし、分野を問わず、貪欲に学んでいかなければならないと、解剖に入る度に、改めて考えさせられました。

 研修を通して多くのことを学びましたが、最も重要な学びであると感じたのは、患者さんに寄り添おうとする姿勢の重要性でした。研修開始当初より、上記のような学修目標を掲げ、研修に励んでおりましたが、同時に、可能な限り患者さんのもとに赴いて話に耳を傾け、少しでも、患者さんの痛みに近づけるよう、患者さんの気持ちに寄り添えるように努めました。それは、他人同士である以上、気持ちを本当の意味で「分かる」ということはありえず、その溝を埋めるためのただ一つの方法が、密にコミュニケーションをとることだと考えていたからであり、また、どんなに専門的な医学・医療の分野であっても、根底にあるのは患者さんの気持ちであると考えていたからです。当初は、そのように考えながらも、知識も経験もない若輩者の初期研修医が患者さんの気持ちに寄り添い、心の支えになることなどできないだろうと考えていました。しかし、実際に患者さんの下に足を運んでみると、患者さんは驚く程話を聴いてもらいたがっており、何も知らず、何もできない私であっても、多少なりとも患者さんの心の支えになりうるのだということを知りました。中には、ずっと私に担当医をしてほしいと言ってくださる方や、先生に出会えてよかったと涙を流してくださる方までいらっしゃり、今後、医学・医療の世界で生きていく上で、私を支えてくれる、得難い経験になったと感じると同時に、そのような貴重な機会をくださった患者さんたちに深い感謝を感じております。私の将来に関して、もっと密に患者さんと接する臨床科に進むべきだと言ってくださる方もいらっしゃいますが、私は、目の前にいない人、今後も会うことはないかもしれない人のために、その人のことを想い、その人の現在の生活や将来を想像し、診断を下す病理医には、寧ろ、日々直接患者さんと接する臨床科よりも高度な想像力、精神活動が必要であると考えており、この研修での患者さんとの思い出は、病理医を目指す上でも貴重な財産であると感じております。

 以上、この 2 年間を振り返ってみると、患者さんの気持ちに寄り添うことの重要性という、医学・医療の根幹となる部分を体感できただけでなく、医学・医療の様々な分野を広く学び、アンテナを立てることができたように思います。特定の科に長くとどまることをしなかったため、臨床の実務はあまり身に付かなかったかもしれませんが、広く学び、様々な分野にアンテナを立てておくことは、将来、綺麗な花を咲かせるための種まきの作業であると感じており、長い目で見ると、この 2 年間で学んだことが生きてくると考えています。今後、どの道に進むにせよ、この 2 年間で学んだことを糧とし、医学・医療の側から人々の力になれるよう、日々、粉骨砕身の努力を続けて参りたいと思います。最後になりましたが、本研修でお世話になりました全ての皆様に、深く御礼申し上げます。